「胸に意識をおいて」

やっぱりなんでも時間がかかるものなのだ。

 

お父さんが亡くなって、明日の朝でちょうど2週間になる。

 

やっと先週土曜日に自宅に戻ってきて、ちょっとホッとしたら、そこからは自分の内側がどういうことになっているかに目を向けることになってしまった。忙しさに紛れて、人に囲まれて、自分の外側に目を向けていなければいけなかった期間は終わったのだ。

 

なんだかジワジワくるなぁ・・・いろんな感情が。

 

今朝は、いつものごとく社員の面倒をよく見てくれる(マジで)うちの会社では、今日はマインドフルネスの日なので「さあ、今日という日をメディテーションで始めましょう」というメールがみんなに送られてきた。日中も一通、夕方にも一通、深呼吸してリラックスしましょう、と。

 

しかし、5分のビデオチュートリアルの初めに「それでは、胸に意識をおいて、自分の息に注意を払いましょう」と聞いた時に、もう、そこから先に進めなくなってしまった。泣き始めたら止まらなくなり、ビデオが終わっても、しばらくは何もできなかった。

 

お父さんは、肺炎で亡くなった。最近よく聞く、いわゆる誤嚥性肺炎だ。他にもいっぱい弱っていたところがあるけれど、それはまた別の日の話。

 

亡くなる日の朝、お医者さんにレントゲンを見せてもらったら、片方の肺はもう真っ白、もう片方もほぼ真っ白、前の日よりも白い範囲が広がっていた。これじゃ息が苦しいのも当たり前だった。酸素マスクで酸素レベルMAXにしてもらっても、意識はほぼ無いし、もう顎で息をしていた。

 

今朝「胸に意識をおいて、自分の息に注意を払いましょう」と聞いた時、目の前にあのレントゲン写真がぶわっと浮かんできた。お父さん、息苦しかっただろうな、と思った途端、もうアウト。

 

誰かが亡くなった時って、お葬式をすれば、遺品を整理すれば、年金事務所と話をすれば、親戚や知り合いと思い出話をすれば、それで終わり、という訳ではないんだ。自分の中にいるその人と向き合って、その人の残したものをひとつひとつ手にとって、気持ちの整理をしていかなきゃいけないんだ。そして、恐らくこれは完全には片付くことのない作業なんだ。

  

山のように立ちはだかるそれらをことを目の前にして、クラクラするのは、時差ボケのせいだけじゃないと思う。