うすピンクの反逆

2年半ほど前、白髪染めをやめた。ちょうど仕事もやめたし、その後すぐパンデミックもやってきたしで、やめた。いいタイミングだったのだ。

 

白髪は40すぎからぽつりぽつりと現れはじめ、最初は抜いていた。それから部分染め、それからほぼ全体を数週間おきに・・・なんてやってたら、だんだん鏡を見ることさえストレスになっていった。

 

自分でやっても、プロにやってもらっても、数週間おきのやらねばならぬ儀式は、ただ面倒くさかった。そして染まった後の自分の見た目も嫌いだった。ベタで塗りつぶしたような黒い髪は、もともと髪の色が少しまだらだったわたしには不自然に見えたし、歳を重ねた顔には似合わなかった。

 

いやいやながら白髪染めを続けていると、ある時ふと、「ちょっと待て、わたしは、誰のために、なんのためにこんなことしてるのか」と思うようになった。思い当たるフシはいくつかあった。

 

随分前、久しぶりにあった日本の同僚に、会うなり「おばさんになったなあ」と言われたのが、なぜかずっと小さいトゲがささったように心の奥でうずいていた。おばさんと呼ばれることが嫌なんじゃなくて、それまでそれなりに信頼していたその人の嘲笑的な物言いに、ちょっとしたショックを受けたんだった。

 

何年か前、日本の人から「プリン」という言葉を初めて聞いた。プリンのカラメルとカスタードがはっきり分かれているのが、髪が伸びて染めた部分と白髪の部分がはっきりわかれているのと似ているからなんだという。その「プリン」には、白髪なんて、ちょっとでも見えてきたらみっともないんだからすぐに修正されるべき、というネガティブなトーンがあった。

 

インターネットではよく「劣化」という言葉で人(主に女性)が揶揄されている。ものに対して使う言葉だと思っていたが、そういう言葉を人間に対して使う人達がいるのだった。オンライン記事の下の方なんかにあるえげつない広告ヘッドラインも、わたしたちはなにがあっても「劣化した」などと言われないよう、あれを買えこれを買えと語りかける。

 

あと、わたしは昔はずいぶんと若く(幼く)見られていて、「若いわね〜」とか "You're [n years old]?! No way!!!" とか言われているうちに、自分は若く見られるので、これからも期待を裏切らず若いままでいなければならない、という思いを持つようになったのかもしれない。

 

こんなようなことが、白髪が生えてくることを含めた「経年変化は悪いもの」という考えをわたしの頭に叩き込んでいたのだと思う。わたしは若い時いろいろとてもつらかったので、今のほうがずっと楽で、年を経るということは本当はすごく喜ばしいことなんだけれど、当時はA剤とB剤を混ぜるのに忙しくてそんなこと気づきもしなかった。

 

自分は求めてもいないような他からの期待を、自分でも自分に課してしまって、だんだんと自分の本来の姿からずれていくことに対する無意識の憤りは、裏庭の湿った芝生をのっとっていく不気味なキノコのようにむくむくと増殖していく。

 

一体私は誰の期待に応えようとしていたのだろう。プリンみっともない、おばさんはこれを買わないと劣化するぞ、という声の主たちは、誰もわたしを本当に心配してくれることも、わたしの葬式で心からの追悼を捧げてくれることも決してないのに。

 

わたしに最後まで一緒にいてくれるのは、わたししかいない。だからわたしはわたしを愛したい。白髪もたるみも腰痛も病気も何もかも受け入れて、心地よく生きていきたい。そう思って、自分の好きなように、楽なように、することにした。

 

あれから、ベタな黒に染めた髪を切り、白髪が顔の周りにしっかりとセンターステージをとってからは、ローズゴールド(日本でいうピンクベージュ?)や紫のトリートメントで髪全体に色を差しては遊んでいる。染料ではなく顔料なので、色づきがやさしく、大体フェードアウトしたらカラーチェンジもできる。自分の髪を隠すのではなく、遊ぶようになってから、ずいぶんと楽しくなった。

 

カリフォルニアの地元では、白髪自体には特に誰も反応しない。でもわたしのうすピンクの髪を見ると、老若男女いろんな人からいろんなところで「それすっごくいい!」と言われる。わたしが遊んで楽しんでいることを感じ取って、向こうまで楽しく感じてくれているようだ。

 

日本では、今年の2ヶ月くらいで何回か、笑われたり、おののかれたり、ジロジロとなめるように見られたり、遠回しに嘲笑された。ほめられなくてもいいんだけど、面と向かって笑われると、この国から離れなきゃいけなきゃ生きていけないと思った大昔のことを思い出して、ちょっとさびしくなる。(そういえば笑ったりしたの全部女性だったな・・・刷り込みの強さよ・・・)

 

ところで、わたしは白髪染めが悪いと言っているのではない。この先、自分が髪を真っ黒にしたければ、わたしはそうする。わたしの中の不健康は、他が求めている(らしき)ものを、自分も求めなければいけないと思っていたことにあった。自分の好きな物事や自分の本来の姿を自分から取り上げたり、したくないことをしなきゃいけないと思いこんでするということが、つらさの原因だったのだ。

 

人生の折り返し地点を(おそらく)過ぎて、しなくてもいいことをしなきゃいけないと思い込みいやいや生きていくなんて暇もエネルギーもわたしにはもうない。プリンにも劣化にも嘲笑にも、笑顔でミドルフィンガーを差し上げよう。それが51歳のわたしのうすピンクの反逆だ。