なおすことの前にくるもの

ずっとテクノロジー業界にいると、職種にもよるんだろうが、修正ぐせというのがつく。大小関わらず、不具合(バグ)は、すぐにでも修正すべきものという認識があるからだ。中にはいろんな事情で長期間修正できずにいるバグもあるが、少なくともわたしの場合…

うすピンクの反逆

2年半ほど前、白髪染めをやめた。ちょうど仕事もやめたし、その後すぐパンデミックもやってきたしで、やめた。いいタイミングだったのだ。 白髪は40すぎからぽつりぽつりと現れはじめ、最初は抜いていた。それから部分染め、それからほぼ全体を数週間おきに…

日常を探して

いま車がなく、移動手段が市電かバスかタクシーに限られている。近くには店もあまりないし、その上暑くて日中はあまり出歩けないので、普段の買い物はネットスーパーか、冷蔵しなくていいものは母のところに行ったときにその近所で買っておく。 それでも多少…

なんとかなるかな

日本に着いて明日で3週間になる。 これまでの滞在の仕方なら今頃アメリカに帰る頃で、気忙しくしていることだろうが、今回は中期滞在なのでそれがない。訪問よりも生活するモードなので、ある程度根を下ろすべく、毎日いろんな手配をしている。アマゾンと無…

やけつくみぞおち

あの時 あの場所 遠いところ わたしは そこにはもういないのだけれど まだ見える 走り去らざるを得なかった人 まだ感じる たったひとつの安全な世界から引き剥がされる痛み 皮膚がはがされ 肉がそがれ 血がだらだらと流れ 今思えば あれで今すぐ立ち上がれと…

きょうはくかんねん

だれもわたしのことを止めてはいないし なにかに追われているわけでもない なにをしても文句をいう人はいないし いこうと思えばどこにでもいける(*コロナ制限あり) しかしわたしはとどまる 湖面にゆらゆら浮かぶ空箱のように 運良く宙に浮かんだ紙飛行機の…

はて

わたしは だれに えんりょしてるの?

生きやすい場所

今日友達と、日本に短期〜中期滞在するということについて話していた。 彼女もわたしも随分前に日本からこちらへ移ってきたが、高齢の親がまだ日本にいる。それもあって、また他に個別の理由もあって、日本に期間限定で住むということについてそれぞれ真剣に…

歩道に座っていたあなたへ

もう7年くらい前の話だろうか。以前住んでいた家の前に、高校生くらいの女の子が座り込んでいた。歩道の縁に体育座りをして、頭を膝に埋めていた。 もう日暮れ時で暗くなりかけていた。顔は腕と長い髪に隠れて見えないが、泣いていた。 私から見れば年端も…

足るを知り満ちるを学ぶ

Spotifyでミシェル・オバマのポッドキャストが始まった。昨日の夜やっと時間を取ることができて、第一回のゲスト(ふふ ^_^)オバマ元大統領との対談を聞いた。 もう胸がいっぱいになるような、涙が流れてくるような、素晴らしい内容だったんだけれど、ひと…

保護犬たち(猫も)の教えてくれること

今日は、うちのワンコちゃんがうちに来てちょうど3年目だった。今週末はいろんなお祝いをした。新しいおもちゃをもらい、普段よりオヤツを多くもらい、普段行かないお散歩コースを歩き、私たちもすごく楽しかった。本当にいい子で、優しくてかわいくておも…

ミシンとの馴れ初め

3月にロックダウンに入ってから結構な数のマスクを縫った。こっちの人たちはマスクに慣れてないので、せめておもしろい柄のマスクでハードルが少しでも下がればと思い、いろんな柄の布を使い、形も何度も改良し、縫いやすい、効果的、使いやすい、を兼ね備…

「ステップ」なんとか

私には二人ステップキッズがいる。ステップキッズというのは、日本語だと結婚相手の連れ子という意味。私は彼らにとっては、ステップマザー、継母、ということになる。血のつながってない親子関係の続柄を表すときに、ステップ、という言葉が使われる。 彼ら…

高菜の油炒め

昨日、お友達へのおすそ分け用に、高菜の油炒めのおにぎりを作った。 ここで言う高菜は、古漬けを刻んだもので、こっちでも日系スーパーとかで買える。それをごま油で炒めて、ちょっとお醤油を足して、最後にごまを混ぜ入れる。それをごはんに混ぜ込んでにぎ…

そこじゃない、ここにいる。

昨日、ちょっと調べ物があって、昔大学でお世話になった先生(教授)の情報をググった。 今もまだ現役のその先生の経歴には、私が学生だった頃やその後、どこで教えたとか、何を専門にしているとか、書いてあった。 そんなのは特に変わったことではないんだ…

余白のような日。

今日は(も)なんだかボヤ〜ンと過ごした日だった。 生産性がなくていやだなあ、スペイン語も韓国語も進んでないし、マスク作りも休んでるし、絵も描いてない。毎日 go go go って行きたいんだけど。なんて思いが浮かんできたけど・・・ 少し頭が痛いのでち…

がんばった。

前回の日記?は、2年も前に書いたんだった。 PTSDのセラピーが、そろそろ終わりに近づいている。いやー、がんばった。先生に導かれながら、がんばったぞ。 いろいろふんぎりがついた。 今年のはじめ、会社をやめた。腰を痛めて、体もおかしくて、医療休暇を…

Some days you feel so homesick that all you can do is just curl up in a ball but then you realize what you’re homesick for what doesn’t even exist anymore

自分のこと

前回書いてから、しばらく時間が空いてしまった。 書いてて、いろいろ思い起こすのが結構きつい作業だったのもあるけれど、あの後からセラピーを始めて、何となく気ぜわしくなっていた。 こちらでは、人を亡くした時などに、グリーフ・セラピーというのをす…

二回目の脳内出血 - 試練の始まり

1995年は、お父さんはほぼ快復し、無事に過ぎ去っていった。仕事も元のようにできるようになったし、ほんの少しの痺れや麻痺を除いては、健康状態は良好だった。 翌年1996年の1月に、私は昔から大好きだった人と結婚した。 (残念ながら、後々離婚…

最初の脳内出血 - 一時的な回復

発症から1カ月半経った1994年12月、お父さんはやっと退院した。 手にはまだ震えや痺れがあったけれど、外からはあまりわからなかった。右足は少しだけ引きずっていた。これも見ただけではわからなかったけれど、小さな段差に気をつけないといけなかっ…

最初の脳内出血 - 祈り

1994年10月末、前回の続き。 お医者さんの話では、お父さんは、左の脳内に出血を起こし、その大きさはピンポン玉くらいだという。幸い手術の可能な部位で、血腫の周りの部位がダメージを受ける前に手術で吸い取ったほうがいいという。開頭手術ではなく…

最初の脳内出血 - 嫌な予感

お父さんが最初に脳内出血を患ったのは、1994年10月のことだった。 その夏、留学から帰国後、アメリカ(というかアメリカにいたその時片思いだった人)が恋しくて、とんぼ返りでアメリカに旅行しに行った私は、思いっきりフラれて、ロサンゼルスから日…

色眼鏡をはずしたら

今回の仙台滞在では、日の出は大体6時半ちょっと過ぎだった。ホテルの窓は東向きだったので、ほぼ毎朝、朝日を見ながら起きていた。 (窓の反射で太陽がみっつくらいあるように見えるのは、ご愛嬌・・・右の大きいのが本当の太陽です) 日の出前に窓の外を…

空きスペース

この20年近く、お父さんに万が一のことがあってもいつでも飛行機で飛んでいけるように、常に心とモノの準備をしていた。パスポートや日本円用のお財布、処方箋薬や洗面用具などは普段からまとめてあって、電話の設定や荷造りもすぐできるようにしていた。 で…

トシキくん

火葬の次の日は、お父さんの「偲ぶ会」だった。会の終了後、葬儀屋さんでのいろいろもすべて無事終え、少しだけホッとしてホテルに帰る途中のことだった。 最寄りの地下鉄の駅の横にある、以前お世話になってた教会の前を通りかかった。小学校低学年くらいの…

肩透かし

お父さんにはなにやらちょこちょことものを送っていた。大したものではないけれど、着るものや食べ物なんかを。 派手な色、特に赤やオレンジが好きだったので、何かしら見つけると、クリスマスや誕生日などに送った。シャツやセーター、ベストなんかを送った…

のどぼとけ品評会

私は喪主になるのも初めてだし、人を火葬場に送るというのも初めてだった。 だからなのか、もう20年日本に住んでなくて日本式の火葬に馴染みがないからなのか、お骨を拾うとかいうことがどうも怖かった。怖いというか、得体が知れないというか。 お父さん…

励まさないでください

ちょうど2週間前が火葬の日だった。 おかしなもので、当日は忙しくて考える暇もなかったことが頭にポコポコ浮かんでくる。 あの1時間程の間に、お父さんの肉体は、炉の中で灰になった。当日はお別れに来てくださった方々とお話ししていて、その具体的なプロ…

「胸に意識をおいて」

やっぱりなんでも時間がかかるものなのだ。 お父さんが亡くなって、明日の朝でちょうど2週間になる。 やっと先週土曜日に自宅に戻ってきて、ちょっとホッとしたら、そこからは自分の内側がどういうことになっているかに目を向けることになってしまった。忙し…