のどぼとけ品評会

私は喪主になるのも初めてだし、人を火葬場に送るというのも初めてだった。

 

だからなのか、もう20年日本に住んでなくて日本式の火葬に馴染みがないからなのか、お骨を拾うとかいうことがどうも怖かった。怖いというか、得体が知れないというか。

 

お父さんが亡くなった後、土色になった顔を見て、すごく違和感を覚えた。さっきまでお父さんと呼んでいた体は、今は抜け殻なのだ。それが、頭の中でどうも噛み合わなかった。

 

そういうのもあって、これ以上お父さんの抜け殻を目の当たりにするのが嫌だったのだ。それに、焼いた人の骨なんてどんななんだ?そういう意味でも、おどおどしていた。

 

アメリカでも火葬はあるけど、私の近しい人たちで火葬された人たちは、亡くなってから火葬場に運ばれてその後は骨壺に入って帰ってきたから、火葬という生々しい?こと自体には、私は関わったことがなかった。

 

火葬の当日、棺桶のお顔の部分の蓋を閉められて、お父さんは炉に入っていった。

 

そして小1時間、喪主の方は炉の外のホールに来てくださいと呼ばれた。ドキドキしていたわたしは、おばちゃん(お父さんの妹)に一緒に来てもらった。

 

おとうさんのお骨を、名前と炉の番号で確認した。ハロウィンのガイコツみたいなのかと思ってたら、それほどハッキリとはしてなかった。あれだけ熱い炉だと、骨もカラッカラ、ホロホロになるのかな。

 

おばちゃんは、明るくテキパキと係員さんとお話をしてくれた。私も、はい、とか、わかりました、としか言えなかったけど、なんとか切り抜けた。この時のことは、実はあんまり覚えていない。ドキドキしてたのと炉の熱と疲れとで、ぼうっとしていたのだろう。おばちゃんの手を、子どものようにずっとぎゅっと握りしめていたことだけは覚えている。

 

それから一度待合室に帰されて、その後、お別れに来てくれた方々と一緒に、お骨を拾うお部屋に通された。

 

この時には、係員さんがすでにお骨を「仕分け」して、拾いやすいようにしてくれていた。そして、お骨の台の横に、ステンレスのでっかいちりとりみたいなやつがいくつか置いてあって、それぞれのちりとり?の上にはでっかい菜箸みたいなのがまたいくつか乗せられていた。それを使って骨を拾ってくださいとのことだった。

 

まずは係員さんが、お父さんののどぼとけを拾って、いかにきれいな形をしているかをみんなに見せて説明してくれた。本当に仏様が座っているような形なんです、って言われたら、本当にそう見えた。次は、下顎の骨がいかにしっかり残ったか、というのを見せてくれた。そういうのが大事なのかどうか、よくわかんないけど、ちゃんといろいろ説明してくれて、一種の品評会みたいで、おもしろかったというか、ありがたかった。

 

その後は、みんなでひたすらお骨を拾った。私もこの時点ではもうドキドキも収まり、ちゃんとお骨を拾えた。参列してくれた方を誘導したり、お箸を渡したりする余裕も出てきた。

 

みんなが大体のお骨を拾い終わった後も、おばちゃんは、拾える骨は、きれいすっかり拾ってくれた。前の日も火葬の前もお父さんの顔をナデナデして別れを惜しんでいたおばちゃんは、骨になったお父さんをも愛おしんでいた。

 

火葬場からの帰りの車の中、お父さんの骨箱を抱えながら思った。このお骨を拾うという風習は、実は非常に合点のいくものだと。アメリカにいる親戚の人たちには「え・・・そういうのは、ちょっと・・・」とか言われていたし、私もおどおどしていたんだけど。

 

人が亡くなってからも、その骨をも拾ってくれるって、それって、最後の最後まで、あなたの面倒を見てあげますよ、どんな風になったあなたでも受け止めてあげますよ、という愛情表現なのではなかろうか。そして、送る側も、その肉体が地へ帰る様子を目の当たりにすることで、故人とのお別れを現実のものとして受け入れる最初の一歩を踏み出せるんじゃなかろうか。

 

なんでも、やってみないとわからないものだ。