肩透かし

お父さんにはなにやらちょこちょことものを送っていた。大したものではないけれど、着るものや食べ物なんかを。

 

派手な色、特に赤やオレンジが好きだったので、何かしら見つけると、クリスマスや誕生日などに送った。シャツやセーター、ベストなんかを送った。帽子も好きだったので、帰国する時は野球帽などをおみやげに買っていった。まだ食べ物がある程度飲み込めてた時は、お寿司の折り詰めとかをランチに、大好きなお饅頭をおやつに(あんこが好きだった)持っていった。故郷の熊本のお菓子、銅銭糖という落雁にあんこが入ったようなのも時々持っていった。アマゾンジャパンでチョコやくまモンのタオルを送ったりもした。

 

お父さんの部屋の荷物を整理した時、送った服や帽子がいっぱい出てきた。多くは着古しのようになっていたので捨ててしまったけれど、いくつかはクリーニングに出して教会のバザー用に持っていってもらった。帽子もお父さんを慕ってくれていた小さな子にあげたりした。私が着れるものはないので、こちらにはあまりいろんなものを持ち帰ってはこなかった。

 

不思議なことに、お父さんが生きていた時は、それだけで、お父さんの持っていたモノにもいのちがあったというか、意味があったんだけど、いなくなってしまったら、途端にただのモノというかほぼゴミになってしまった。施設に入る前、今から10年前に、当時住んでいたアパートにあったものを一週間かけて片付け・処分したから、それほど持ち物はないと思っていたのだが、まる1日半ぶっ通しで片付けてギリギリなくらいに結構な量のモノがあった。しまっておくところはないので、お友達に処分を手伝ってもらい、不用品やゴミは施設の方々に処分してもらった。自分の死ぬときには周りをこんな目に合わせないようふだんから片付けておこう、とこの時思ったが、家の中を見回すとそこには程遠くて恐ろしい。

 

私は出不精だからあまり外に出ないけど、この季節、クリスマスプレゼントやちょっとしたギフト用のものがあちこちで売っている。店舗だけでなくアマゾンなんかでもいろいろ見かける。そういうのを見ると、つい、「あ、お父さんに・・・」とか反射的に思ってしまうのだが、次の瞬間、もうお父さんにプレゼントを買うことはないんだ、と思って、なんかがっくりしてしまう。

 

プレゼントって、それ自体は、結局はただのモノで、最後はゴミと化して、捨てられてしまうんだけど、実は、それがもたらす経験に意味があるのだろう。私がお父さんにプレゼントを選んでた時は、お父さんの好きそうなものを探して、気に入ってくれるかな、と、お父さんのことを考えていた。そして受け取ったお父さんは、まあモノや食べ物にかなりの執着があったとは言え、娘が選んでくれたものだから嬉しかったのかもしれない。年と共に涙もろくなっていた父は、私からっていうとすぐにブワッと泣いていたそうだし。モノ自体ではなくて、それを通してお互いのことを思い合うというところに、意味があるんだろうな。

 

赤やオレンジのシャツを見るたびに「お?」と反応しては肩透かしを食らうような感覚、いつ消えるのかな・・・。でも、消えてほしいような、消えてほしくないような。嘆きとは複雑なもの。