トシキくん
火葬の次の日は、お父さんの「偲ぶ会」だった。会の終了後、葬儀屋さんでのいろいろもすべて無事終え、少しだけホッとしてホテルに帰る途中のことだった。
最寄りの地下鉄の駅の横にある、以前お世話になってた教会の前を通りかかった。小学校低学年くらいの男の子が、後輪の動かない自転車を引きずって歩いていた。
どうしたの?と聞いたら、鍵をなくしてしまって、それで後輪が動かないらしいことがわかった。お家はどこなのか聞いたところ、目の前の大通りを渡ったすぐのところのマンションらしい。あんまりにも心許なげで、それにあんなに小さな体で動かない自転車を引っ張っていくのも無理なので、旦那に自転車を運んでもらって、送っていくことにした。動かない自転車を軽々ヒョイッと肩の上に持ち上げる、背の高い青い目のおじさんを見て、男の子は一瞬、ウォ!とでもいうような顔をして、ほんの一瞬だけ笑みを見せたようだった。
聞いてみると、鍵をなくしたのはこれで2回目で、スペアは残ってないらしい。お母さんに怒られることを恐れてオドオドしている(うちらも、特に忘れっぽい下の子には、怒るよなぁ・・・)。でもしょうがないから、とりあえず帰って、お母さんにも正直に話そうよ、と勇気づけながら、マンションに着いた。動かなくなった自転車は、駐輪場に置いた(旦那よ、ありがとう)。
心許なげ度が最高潮に達していたので、お母さんに事情を説明してあげようか?と言ったら、うなずくので、一緒に上層階のおうちまでエレベーターに乗っていった。
男の子は自宅の玄関ドアを開けてうちの中へと消えていった。数分後、硬い表情でまた出てきた。鍵が見つかるまで探してこいと言われたのだそうだ。早足で去る男の子について、私達も下へ降りていった。
マンションの外へ出ると、男の子は涙を流し始めた。なだめながら、鍵をなくしたという場所に一緒に行った。教会の隣の大きなマンションで、私達が最初にこの子を見かけたところから十メートル程のところだ。
鍵をどうやってなくしたのか聞いたら、自転車に乗ってここに住むお友達に会いに来たものの、留守だったので、駐輪場に戻り自転車の鍵を差し込もうとしたところ、鍵がはね返って、どこかに飛んでいっちゃったのだそうだ。落ちた場所はわからないという。「えっと」「ここらへん」「ピョーン」とか、小学校低学年の話し方での説明なので、よくはわからなかったけれど、ありとあらゆる地面や表面を一緒に探した。それでも鍵は出てこなかった。
男の子はほっとけばあのまま暗くなるまで駐輪場で過ごす覚悟のようだった。いくら同じところを見ても見つからないからお家に帰りましょうと言って、なんとかお友達のマンションを後にした。
自宅へ向かいながら、男の子は、お父さんは会社だから後までお話できない、お母さんは日中いらついている、みたいなことを言っていた。お先真っ暗の顔をして、足を引きずるように歩いている。
地下鉄の駅の前に着いたので、わたしたちはそこでお別れすることにした。
「あなた、名前なんて言うの?」
「トシキ」
「私は、くみこ。この人(旦那)は、ラリーって言うの」
「くみこさんと、ラリーさん」
「トシキくん、お父さんもお母さんも、あなたのこと大好きなんだから、大丈夫」
「・・・」
「正直にお話すれば、きっと大丈夫。わたしも、ラリーも、祈ってるね。気をつけて帰るんだよ」
大丈夫かどうかなんてわかんないけど、他に言いようがなかった。肩を抱きしめてあげたかったけど、明日また様子を聞いてみたかったけど、一時帰国中の通りすがりの大人がしてあげられることは、もう全部し終わったような気もした。
「くみこさん、ラリーさん、ありがとう」
トシキくんは、そう言って、横断歩道を渡っていった。
お父さんを知る若い人たちは、小さい頃、うちのお父さんにたくさんお菓子をもらったと、口々に話してくれた。甘いものをあまり与えないようにしている親御さんもいるだろうから、私は「そんなにあげちゃダメ」などとよく注意したものだった。でも、後になってみれば、お菓子をもらってうれしかったことを覚えていてくれる人たちがたくさんいた。お父さんは、小さい子どもたちが大好きで、ある意味じいちゃんのように彼らを甘やかしたかったのだろう。そして、小さい子たちは、お父さんをじいちゃんとして慕ってくれ、大きくなっても覚えていて、亡くなったときには涙を流してくれた。
お父さんは、子どもたちの心に何かを残してあげられたのだろう。それは、親以外の大人でも、自分を気にかけてくれる人がいるという安心感のようなものだったのかもしれない。
トシキくんは、一緒に自転車の鍵を探した大人たちのことを、いつか思い出すだろうか。トシキくんを心から愛するお父さんお母さんの他にも、先生や、親戚、ご近所さん、通りすがりのガイジンさんとオバサンとか、いろんな人がトシキくんを気にかけているということを、わかるようになるだろうか。
トシキくん、あなたは、愛されているのだよ。