空きスペース

この20年近く、お父さんに万が一のことがあってもいつでも飛行機で飛んでいけるように、常に心とモノの準備をしていた。パスポートや日本円用のお財布、処方箋薬や洗面用具などは普段からまとめてあって、電話の設定や荷造りもすぐできるようにしていた。

 

で、今回とうとうその万が一が起きて、今後はお父さんの万が一はもう心配しなくてよくなった。(母よ、あなたはまだ若いのだから、ぜひ健康でいて、もうしばらく心配させてください)

 

お父さんが亡くなった後の諸々をひと段落させて、アメリカに戻ってきて10日ほどになった。1週間は時差ボケもあったし、普段の環境に戻ったことで自分の気持ちに向き合わざるを得なくなり、かなりこたえた。でもこの数日は、時差ボケも落ち着き、時々、霧がさーっと消えて行くような、不思議な感覚で、仕事が進んだり、部屋の片付けができるようになってきた。

 

万が一の心配をする必要がない、というのは、これほど頭に余裕をもたらすものなのか?

 

まるで、アクティビティモニターで重いプログラムをブチッとフォースクイットした途端、コンピュータのファンが止まり、スーッと静かになっていくような・・・急に空きスペースができたような、心が妙にがらんとしたような。

 

旦那も出張だし、とりあえずは仕事と日常のことを黙々とこなすことにしたら、それがかなりはかどる (まあこの3日の話なので、あてにはならないかもしれない)。今までにない不思議な感覚だ。

 

私は、お父さんに対してそれだけ大きな心配を抱えていたのかもしれない。病気のことだけじゃなく、いろんなことについて。父子家庭で一人っ子、この23年間は、皆さんにお世話になりながらも、私がお父さんのことについては最終的な責任を持ってきた。8000キロ離れた場所から。

 

そういう諸々があったはずの場所に、今は大きな喪失感だけが残る。仕事ははかどっても、ルンルンではないし、ただ黙っていたい。他人の楽しい話は、他人事にしか聞こえない。クリスマスのお祝いも、したくない。

 

だから、明日も、12月のキラキラには目をつぶり、ひたすら黙って目先の仕事とゴミを片付ける。

 

これ、カタルシスっていうのだろうか。