高菜の油炒め

昨日、お友達へのおすそ分け用に、高菜の油炒めのおにぎりを作った。

ここで言う高菜は、古漬けを刻んだもので、こっちでも日系スーパーとかで買える。それをごま油で炒めて、ちょっとお醤油を足して、最後にごまを混ぜ入れる。それをごはんに混ぜ込んでにぎれば、最強のおにぎりができる。

私の最初の食べ物の記憶は、この高菜の油炒めだ。3、4歳の頃、福岡に住んでいて、その時ママが作ったのを(多分ごはんにかけて)食べたら、おいしくてびっくりしたのを覚えている。これが私にとってのおいしさの原体験。

その時住んでいたのは、市内にあるいわゆる二軒長屋?みたいなところだった。3棟ほど同じような建物があって、敷地内に大家さんも住んでいた。家の前には家庭菜園のような畑があった。幼かった割にはそこでのことは結構よく覚えている。

父はその頃はオーディオ機器会社の営業マンで、夜遅くまで働いて、出張もよくしていたので、私はママと楽しくお留守番していた。九州は激しい雨が降ることも多く、雷がなると怖くて二人で押入れに逃げ込んだ。でも、ママに「雷様におへそを取られないようにね」なんて言われておへそを隠したりしていると、結局楽しくなってケラケラ笑ってしまうのだった。

ある雨の日には、父は帰ってくるなり、洗面器を持って外に出た。程なく戻ってくると、洗面器の中には小さなアマガエルがいた。かすかにシャックリでもするように動くアマガエルはかわいくて、私は抱っこされながらニコニコ笑っていたのを覚えている。父も私がそう笑うのを見たかったんだろう。程なく雨は小降りになり、アマガエルは家の前の畑に逃された。

この頃は、まだ両親が一緒にいた。父も後に見るような行いや振る舞いはまだ見せていなかった。私は毎日楽しく、安心して育っていた。

高菜を炒める度、私の脳内ではこの頃のことが美しく優しい一瞬の映画のように再生される。私にとって高菜の油炒めは、おいしいだけじゃなくて、味わう度にちょっとだけ切なくなる、長くは続かなかった楽しい幼少期の象徴なのかもしれない。