「ステップ」なんとか

私には二人ステップキッズがいる。ステップキッズというのは、日本語だと結婚相手の連れ子という意味。私は彼らにとっては、ステップマザー、継母、ということになる。血のつながってない親子関係の続柄を表すときに、ステップ、という言葉が使われる。

 

彼らとは二人とも小学生の時からのつきあいなので、私は親・保護者としての役割をつとめてきた。いろいろ大変だったけど(てか親の役目は終わらないけど)、二人ともだいぶ大きくなり、家族の信頼関係も築き上げてくることができた。

 

私にも思春期の頃、5年ほどステップマザーがいた。いろいろ難しいもので、結局あまり親しくなれないままお別れとなってしまった。そして後々大人になってから、ステップファーザーもできたが、やはり大人になってからのことなので、どちらかというと親子というより親戚のような関係だ。

 

そんなわけで、自分が子どもとしてのステップな関係は、どうもよそよそしいものだったので、うちの子達とのバカ正直な関係には実のところ時々戸惑うことがあった。子どもたちが慕ってくれるのが嬉しい反面、「いやいや、何かあったらどうせ私は生みの親じゃないからってことになるんじゃないの」とか、どっか疑心暗鬼なところがあった。

 

社会的にもステップペアレンツにとってはどうも合点の行かないことは結構ある。学校に出す書類に書く親の名前は2つまでが多いし(欄外に書くけどシステムには入れてもらえなかったり)、会社の忌引き休暇にはステップペアレンツは適用外だったり(もちろん会社によっては交渉できると思うけど)。いくらがんばっていても認められにくかったり、ひとつ下に見られると感じることは多い。ステップペアレントとして経験が浅い時にはこれが結構こたえるものだ。

 

生みの親にとってかわるとかいう気持ちは微塵もなく、でも私は「私はあなたたちの生みのお母さんじゃないけど、親であり、保護者であり、私にはあなたたちを守り育てる責任があります」と言ってきた。そうやって転んでは起き上がりを繰り返してきて、今では自信を持ってあの子達の親であると、家の中でも外でもはっきりと言える。社会が「でも『ステップ』ペアレントでしょ?」と言いたげに見えるときでも、「はい、でも、親です。ちゃんと育ててきました」と、今は言える。

 

こないだまで勤めていた会社の通勤シャトルバスに、とってもおもしろい運転手さんがいて、私とオットはその人と仲良しになった。一番前の席に座って、その人とおしゃべりしながら帰るのは、とても楽しかった。その人に家族の話をしていた時、ステップキッズが二人いると言ったら、「ステップ?子どもは子どもでしょ!ステップも何もないじゃん。ディナーのこと、ステップディナーとか言わないじゃん?ディナーはディナー!キッズもキッズ!」とか、よくわからん説明だったけど(笑)、言わんとすることはものすごく突き刺さってきた。彼にもステップキッズがいて、でも全員自分の子どもだと、いつもはっきりと言い切っている。

 

そうだよな、家族は家族、ステップも何もないんだよな。家族には、いろんなカタチがあっていい。

 

血がつながっていても、いなくても、私にはたくさん家族がいる。親も、子どもも、そしてきょうだいも。みんなみんな、私の大事な家族。そのことに、今日も感謝。