保護犬たち(猫も)の教えてくれること

今日は、うちのワンコちゃんがうちに来てちょうど3年目だった。今週末はいろんなお祝いをした。新しいおもちゃをもらい、普段よりオヤツを多くもらい、普段行かないお散歩コースを歩き、私たちもすごく楽しかった。本当にいい子で、優しくてかわいくておもしろくて、家族みんなに愛されている。おそらく11歳くらいではないかと推定されるが、これからも元気で長生きしてほしいなあと思う。

 

この子は私にとっては4匹目のワンコ。シニア犬保護団体から来た。田舎の方で迷子になってるところを保健所のようなところに保護され、そこから保護団体が引き取ってくれた。田舎でも特にあのあたりは殺処分が多いので、保護団体が引き取ってくれなかったらと思うとゾッとする。

 

様々な保護団体と関わってきてだいぶ経つが、いろんな犬(猫も)のコミュニティの中でも保護団体関連が一番自分にしっくり来る。ブリーダーについては、きちんとしたミッションと責任を第一にしている場合には、私は反対する立場になく、支援に値する団体もあると思う。ただ、カジュアルなブリーダーや、営利第一、犬猫を商品と扱うところに関しては、反対の立場であり、特にペットショップなどに関しては強く反対する立場だ。このあたりに関しては長くなるので今日はやめておく。

 

保護犬たちには、それぞれいろんなストーリーがある。彼ら自身に非はなく、残念ながら人間の都合で辛いところに追い込められてしまった子ばかりだ。また、うちの3匹目の子のように、残念ながら飼い主が病気になったり亡くなったりして行き場を失う子もいる(この子もまたとんでもなくいい子だった)。保護活動に少しでも関わると、人間世界の悲しさ、業、歪みなどがまざまざと見えてくる。

 

保護団体に行くと、いろんな子に会える。いろんな性格の子がいて、本当に面白い。雑種の子たちも、そして意外に思えるほど多くの純血統の子たちもいる。そしてそれぞれの子が、それぞれの理由で、そこにいる。

 

そこにいると、赤鼻のトナカイの映画の、The Island of Misfit Toys にいるような気がしてくる。わたしはそういう、いろんな存在が様々集い、生かし生かされている場所が好きだ。

 

みんな違っていいし、みんないろんなストーリーを抱えていていいし、そういう愛しい命を大切にし、一緒に生きていくというところに、大きな意義を見出す。

 

私も自分の非からくるのではないさまざまな目にあったからか、この子達に共感を覚えるのかもしれない。そして、そんな目にあってさえ、程度の差こそあれ、人を信頼し、愛を与えることのできるあの子達に、いつも驚かされる。

 

人間世界は、どうやったって完璧にはならない。いつもどこか必ず壊れていて、悲しいと思うことも起きるし、頭が爆発するかと思うほど怒りたくなることも起きる。だけど、それでもあらゆるものごとをそのまま受け止め、また自分のできることを模索していくうちに、美しさや喜びも見つけることができる。

 

保護犬(猫も)たちは、そういうことを私に教えてくれるのだ。

 

 

(なおうちはアレルギーの人がいるため猫がいないので、「猫も」はカッコ書きになってます。キライなんじゃないよ)