色眼鏡をはずしたら

今回の仙台滞在では、日の出は大体6時半ちょっと過ぎだった。ホテルの窓は東向きだったので、ほぼ毎朝、朝日を見ながら起きていた。

 

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(窓の反射で太陽がみっつくらいあるように見えるのは、ご愛嬌・・・右の大きいのが本当の太陽です)

 

日の出前に窓の外を見ても、もう車は走っているし、会社に向かっている風情の人がかなりの数で歩いている。早いし、寒いし、それでもみんな真面目に日常をこなしている。私がお父さんの亡くなった後の諸々に駆け回り、たまに座りこんでは涙を流し何もできないでいる瞬間も、善良な仙台の人々は、世の中をまわしてくれている。

 

自分が動けない時も、動いてくれてる人がいる。なんだかそういうことがありがたかった。

 

そしてお父さんが亡くなって間もない日、この朝日を見ながら、「あ、私、仙台が好きかも」と、思った。実は、人生で初めてそう思った。

 

 

私は仙台で生まれて、幼少の頃福岡で暮らしたのと留学した1年を除いては、27歳でアメリカに移住するまでずっと仙台で育った。でも、この日まで、一度も仙台を心から大好きと思えたことがなかった。

 

私にとっての仙台は、いつも疎外感や孤独感を抱えていた場所だった。

 

小さい頃から、親のことでいろんなことがあった。それで悩み、精神的に不安定で、ずっと体も弱かった。事情を知らない周りからいろんなことを言われた。頼れる人がいなくて、心細かった。そういう弱みに付け込む人やいじめる人にも遭遇した。そういうことを気にしない知恵や力も、年端の行かない私は、まだ持ち合わせていなかった。

 

そして私が学校を出てすぐ、お父さんは病気になった。その後はずっとお父さんの諸々の世話で、アメリカに移ってからも、仙台に来た時はお見舞いや世話やいろんな手続きに明け暮れた。この数年は特に、お父さんを訪れても、会話もろくにできないことが多く、痛がったり苦しんだりするお父さんを見るのは本当に辛かった。そして、その合間に自分の仕事もできるだけしようとするんだけど、どっちつかずで何もうまくできなかった。

 

でも、お父さんが亡くなって間もない日、あ、もうお父さんのこと、心配しなくていいんだ・・・と気がついた。お父さんの痛みや苦しみは過ぎ去った。私ももうグッタリとアメリカと日本を行き来しなくてもいいのだ、と。それは、喪失感でもあり、安堵感でもあった。

 

そしたら、今まで暗い色眼鏡を通して見ていた仙台が、ちょっと明るく見えた。まるでこの朝日に照らされるように、私の中の仙台も、はっきりと、明るく見えた。

 

痛みや苦しみの色眼鏡を通さなければ、実は、仙台、いいところなんじゃないか。なにより、善良な仙台の人たちが、実は今まで、私とお父さんを支えてくれていたから、やってこれたんじゃないか。

 

じわーっと感謝の気持ちが溢れてきた。

 

次回の仙台訪問は、心から楽しみに、「ただいま」と帰ってきたいと思う。