自分のこと

前回書いてから、しばらく時間が空いてしまった。

書いてて、いろいろ思い起こすのが結構きつい作業だったのもあるけれど、あの後からセラピーを始めて、何となく気ぜわしくなっていた。

こちらでは、人を亡くした時などに、グリーフ・セラピーというのをする。お父さんを亡くした後の心の状態を整理したいというのもあり、会社の福利厚生を利用して始めることにした。

このグリーフ・セラピーが、数ヶ月もせずに、PTSDセラピーに形を変えた。

セラピストの先生と話をしていくうちに、お父さんの世話で忙しいからと何十年もフタをしていた過去のことが、今の自分を良くない形で形成してしまっていたことがわかってきた。

そして、今まで「まあしょうがないや」とか「こんなもんなんだろうな」と思って、もがきながらあきらめていた「症状」が、実はPTSDが原因かもしれないというのだ。

そういう見方をすると合点のいくことが結構あった。親しい人たちに話したら「え、自分でPTSDって知らなかったの?そうだと思ってたよ」などと言われる始末。自分のこと、自分が一番よくわかっていない。

それで、1ヶ月前くらいからPTSDに特化したセラピーを始めた。これが、結構辛い。

先生の例えを用いると、皮膚の下でぐちゃぐちゃの膿がたまったまま閉じてしまった傷を、また一度開いて、膿をえぐり取り、消毒して、きれいにしてから傷を閉じるような作業だということだ。

この作業、きついんだけど、これほどしっかりと過去に起きたことと向き合ったことはない。私の今までの脳みそでは、過去のことが無意識に今も自分の頭の中で継続して起きていて、今の自分をも脅かすものとなっていた。だから、普通にしていても、どこか怯えていたり、ビクビクしている。だけれど、それらの出来事に対峙することにより「大変だったね。でも昔のことであって、今の自分は安全なのよ」と言えるようになる。過去の出来事にちゃんとタイムスタンプを押してあげて、ぐるぐる回るフラッシュバックのサイクルをプチっと切ってあげる。ていうかまだそこまで行ってないんだけど、そういうのがゴールである。

このセラピーが一段落した頃、今の自分も過去の自分も、思いやりと優しさを持って受け止めてあげられるようになっていたいと思う。