歩道に座っていたあなたへ

もう7年くらい前の話だろうか。以前住んでいた家の前に、高校生くらいの女の子が座り込んでいた。歩道の縁に体育座りをして、頭を膝に埋めていた。

 

もう日暮れ時で暗くなりかけていた。顔は腕と長い髪に隠れて見えないが、泣いていた。

 

私から見れば年端も行かない子だし、心配になって、おそるおそる声をかけてみた。返事はない。でもとりあえず隣りに座っていいか聞いたらいいと言うので、座った。そして彼女が泣き止むまでそこにいた。人通りも少ない静かな住宅街なので、人目を気にする必要はなかった。

 

泣き止んでから、少しずつ話を聞いてみると、家の中でゴタゴタがあって、飛び出してきたということだった。空は暗くなって、このまま外にいるのもなんだし、すぐうしろの私たちのうちにあがることをすすめたら、本当にあがってきてくれた。おせっかいなアジア人のおばちゃんだと思ったことだろうが、私としては明らかに困っている年端のいかない子をそのまま外にほったらかしにすることは避けたかった。

 

うちに入ると、少し落ち着いて、普通の高校生らしい話もしてくれた。学校で水球をやってることなど、彼女の普段が垣間見えるような話で、少しホッとした。

 

その後、詳細に渡っては覚えていないのだけれど、どうも彼女の家の中の様子は本当にヤバいようだったので、本人の同意を得て警察を呼んだ。実は彼女の家はうちから5、6軒ほどしか離れておらず、すぐ見えるところにあった。彼女は確か靴を履いていなくて、家を飛び出てそのまま通りの終わりで座り込んだようだった。

 

聞くと彼女のお母さんはアルコール依存で、どうやらほんの少し前にも同じような騒ぎで警察が呼ばれていたらしかった。お父さんもなす術がないようで、飲んでは家族に悪態をつき喧嘩や大騒ぎになるということが常態化していたらしい。

 

お父さんにも連絡が付き、警察による家のチェックも大丈夫だったということだったので、彼女は帰ることになった。彼女を最初に見かけてから2、3時間経っていた。うちを出る時、何かあったらいつでも来ていいから、と伝えておいたが、あれ以来彼女を見ることは一度もないまま、私たちは数年後に引っ越してしまった。

 

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どうしても幸せを自分で見つけられず、そのせいで周りを責めてしまう人を親に持つと、子どもはすべてをかけて親を幸せにしようとがんばってしまう。はなから自分で自分の幸せに責任を持つ気のない人を幸せにするなんて、他人には到底不可能なことなのに。でも子どもにはそれがわからないから、親が不幸せだったり不満足だったり、ましてや自分に当たられたりすると、自分のせいだと思いこむ。そして自分は到底誰をも幸せにすることなんてできない、誰の役にも立たない、出来損ないだと思いこむ。

 

私がそうだったもの。だって一番近い一番大きな存在が(私の場合は父親が)そういうメッセージを常に送っているのだから、そう思うようになるのは仕方ないというか当たり前だ。

 

私はだいぶ元気になったけれど、今でも時々自分は役立たずだとか出来損ないだとかいう思い込みがふと変な形で顔を出すことがある。まだ自分の中で処理できていない何かが表面化した時に、そういう思いが出てくる。今日のセラピーでは、そういうことを処理しやすくするような手助けをしてもらった。そうしたら、あの時のあの子のことを思い出した。

 

彼女も、もう20代半ばくらいになっているはず。どうしているかな、傷に膿がたまったりしていないかな、自分を責め立てず、大切な自分を大切にできているかな、とか、時々思う。

 

あのときのおせっかいなアジア人のおばちゃんは、何もできないけど、今でも時々あなたの横に座っていますよ。こうして思うことしか、できないんだけど。