最初の脳内出血 - 祈り

1994年10月末、前回の続き。

 

お医者さんの話では、お父さんは、左の脳内に出血を起こし、その大きさはピンポン玉くらいだという。幸い手術の可能な部位で、血腫の周りの部位がダメージを受ける前に手術で吸い取ったほうがいいという。開頭手術ではなく、頭蓋骨に小さな穴を開けるだけなので、体への負担は比較的少ないという。

 

発症から4、5日経った頃、手術は行われ、無事成功した。

 

そして容態も意識も落ち着いた頃、最初の知能検査が行われた。

 

お父さんは、簡単な足し算や引き算も、まったくできなかった。そして、答えが合っていないというと、そんなはずはない、と怒り出した。

 

体はまだ右麻痺やしびれが多少あったけれど、車椅子なしでも歩けるようになった。しかし、言うことは、まだチグハグだ。感情的にも、不安定だった。

 

東京のまあまあいい大学で、大学院まで行った人が(家庭の事情で中退したけれど)、こんな簡単な算数もできなくなっちゃったの?自営業の不動産屋だってどうするんだ?

 

・・・え、これ、私、一人で背負っていかなきゃいけないの?

 

学校を出たばかりの23歳の私は、途方に暮れた。

 

とりあえず、お父さんの事務所をなんとかしなければいけない。時間をかせごう。高校時代から店番くらいはたまにやっていたので、見よう見まねで、開けておけるときは開けておいた。間もなく始めるはずだった英会話講師の仕事も、翌年まで先送りにしてもらった。

 

そんな中、一時帰宅でお父さんを自宅に返さなくてはいけなくなった。発症から3週間余り経ってからのことだった。

 

うちに帰っても、お父さんは、怒りっぽい。話の辻褄が合わない。行動もいまいちおかしいし、私一人ではとても介助などできない。不安だけが膨らんで、病院に戻った。

 

病気の親、右も左も分からない大人の世の中、始まる前に無くなりそうな自分の人生。ある夜、重圧に耐えきれなくなって、声を上げて泣いた。

 

5歳の頃から、お父さんと住んできたボロボロの小さな借家。恥ずかしくて、隠れるように住んでいた家。学校も卒業したからには、お父さんの束縛からも離れて、早く出て行きたかった場所だ。その家の、暗い四畳半の隅っこで、一人でわんわん泣いた。

  

この時初めて、神様に向かって、正直に祈った。それまでは、クリスチャンだのなんだの言ってても、神様に面と向かって話すような祈り方をしたことはなかった。祈りというよりは、叫びだった。

 

どうしていいかわからない。怖い。先が見えない。だけど何より、元のお父さんがもう戻ってこなかったらどうしよう。神様、お願い。もう一度、お父さんと一緒に、何か楽しいことががしたい。一緒にどこかでご飯を食べるだけでもいい。神様、お父さんを、返して。お願いします。

 

その翌日、二度目のの知能検査が行われた。前回と同じような問題のシートだ。もう11月も後半になっていた。

 

結果は、全問正解。

 

びっくりした。

 

私は、神様を、苦しいときだけ頼りにするようなことはしたくないし、ボタンを押せば欲しい物の出てくる自動販売機のような存在とは思いたくない。ただ、求めよさらば与えられん、とか、(御心にかなった)奇跡というのは、もしかしたら、あるんじゃないか?と、この時、初めて思った。それは、それまでぼんやりしていたいわゆる「信仰」というものが、ほんの少しだけ輪郭を持ち始めた、その瞬間だったかもしれない。

 

お父さんは、そこからは、まるで霧が晴れたように頭がスッキリし始め、それから2週間足らずで退院することになった。